今回、宮沢賢治が書いた『なめとこの熊』を読んだ。『文学少女』というライトノベルを読んで初めて宮沢賢治のことを聞き、『文学少女』と共に日本文学に概括的にイメージを受けたことがあった。その中で宮沢賢治が書いた『銀河鉄道の夜』のエピソードを一部分使い、友達関係の描写を深めたというイメージがあった。『銀河鉄道の夜』にある登場人物の名前からシーンまで、私が認知していた日本と異なるので、最初『銀河鉄道の夜』は欧米の作家が書いた童話だと思っていた。すると、アニメの『文豪ストレイドッグス』で宮沢賢治の名前が再び見られた。その中で宮沢賢治のキャラクターが麦わら帽子を被り、サロペットを着込んだ農民らしい、しかも、純粋で天真爛漫な性格をしている少年だ。したがって、宮沢賢治は自然を愛する童話作家だと思っていた。
『なめとこの熊』を読んている時、はじめに「なめとこ山の熊のことならおもしろい。」と書かれている。そのようなことは私が認知していたのとは異なった。普段認知していたのが平板で簡略にシーンや登場人物を書き表しているので、そのような登場人物を直接的に評価するのは隣人と喋るような人に目を引く描写であり、その上、土地から天候まで、雰囲気から影像まで舞台とする所の全体を詳しく書き表した。文の半ばになると「僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。」と書かれている。そこは作家本人が私たちに突然明らかに自分の見地でストーリーを語ってくれるようなことが見える。そのような作家の見地でストーリーに評価を直接的に書き表すのは珍しいと思う。それによって、作家は「狐けん」のような社会現象に怒るほど見地を書き表した。
この文を読み終わって、どうして小十郎と熊が憎み合わないのだろうか、どうして荒物屋の悪徳商人は罰を受けていないのだろうか、こういう質問が出てくる。質問の答えについて仏教徒の作家の考え方で以下のように説明してみる。先ず、自分の質問は主観の個人的な感情をさしはさむことだ。そのため、客観的な考え方で全文を読んでみた。熊でも、猟師でも、商人でも世の中の万物は固有的な規則とサイクルがある。仏教の因果論そのものである。万物の生活はその規則と生得の本能によって生活しており、偶には悪いことで傷つけられることに遭い、さらに死ぬかもしれない。だが、周りに植えている草木は芽が出て、花を咲かせ、種をつくって枯れるような今生のサイクルが早く終わるだけだ。人間にとって情感を持っていらずに死ぬことを受け止めるのが難しい、そこで、作家が「思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。」と終幕として書かれている。私たちに「死ぬことはそんなに平和で静かなことだ、恐れないで、天地万物が君の傍にいるから」のように語ってくれる。
「どうして荒物屋の悪徳商人は罰を受けらないのだろうか」に至っては、文の中で「ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。」とこの段落から答えを説明すると思う。人が良いか悪いか人によって判断するものではなく、私たちが知らないところで運命はすべて決まっていることだ。別の観点を変えて考えてみたら、商人は作家に罰を受けられるなら、読者として痛快無比だと思う。
しかし、この痛快無比の気持ちは本当にいいのか。私は六道輪廻図にある十二縁起の「受」を思い浮べる。「受」はある人が自分で片手で目に矢を突き刺しているように見える。「受」という文字は私の考え方から感受する、感覚するの意味があり、その上、コンタクトレンズをはめるのが怖かったので、目は体中で最も珍しく、脆い器官だと思う。従って、この「受」を見ると、人生の喜怒哀楽は自分自身を影響され、更に怪我で痛くて全局を見通さないと思い浮べた。実際に、人は生活に躓く時や嬉しい時やその感覚によって行動することだ。面白いことは、人は何かを受けられたのはその原因が自分でしたのだ。すなわち、いつでも気が落ち着かせることができたら、狭隘な視界が開ける。更に個人的な感情で先入観を抱かず、判断をする。すると、作家は猟師が商人に搾取されることは気に食わなく、それでも、読者に悪事には悪い報いがあるのような痛快無比の気持ちを持たせることではなく、人生の七転び八起きは自然の法則だと強調するというわけだ。
宮沢賢治が短いストーリーで色取り取りのシーンを醸し出し、考えをさせることを残し、小説への印象が変わった。本文は私に知っている理屈を思い出させ、本を沢山読み続けて内省したら、ある日僧侶のような穏やかな心を持つだろうと思っている。
ns18.225.254.235da2